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埼玉県川越市のマンホール [各地のマンホール]

■2012年1月4日■

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ネット友達の★る~ぴょん★から画像を頂きました。
とってもきれいなマンホールですよね。

■2011年10月16日■

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今回もネット友達の★る~ぴょん★から画像を頂きました。
とってもきれいなマンホールですよね。

埼玉県川越市
概要
江戸時代には川越藩の城下町として盛えた都市で、「小江戸」(こえど)の別名を持つ。城跡・神社・仏閣・旧跡・歴史的建造物が多く、文化財の数では関東地方で神奈川県鎌倉市、栃木県日光市に次ぐ。戦災や震災を免れたため歴史的な街並が残っており、市内の観光名所には年間約620万人もの観光客が訪れる観光都市である。海外の旅行ガイドブックに紹介されることも多く、最近では外国人旅行者が多い(例えばニューヨーク・タイムズ紙の「2009年トラベルガイド」の川越特集)。

埼玉県を代表する都市の1つ。市内に公立・私立の進学校が多く、埼玉県でも数少ない文教都市であり、住宅地としての人気も高い。

武蔵野台地の北端に位置し、荒川と入間川が市内で合流する。地理的な要衝で平安時代には河越館に豪族の河越氏が興り、鎌倉幕府で権勢を誇った。室町時代に太田道灌によって河越城が築城され、上杉氏、次いで北条氏の武蔵国支配の拠点であった。戦国時代には関東平野の覇権を決する河越夜戦の舞台となった。河越夜戦は「日本三大夜戦」とされる。

川越城を擁する川越藩は江戸幕府の北の守りであり、武蔵国一の大藩としての格式を誇り、酒井忠勝・松平信綱・柳沢吉保など大老・老中クラスの重臣が配された。そのため、江戸時代から商工業や学問の盛んな城下町であった。川越藩の歴代藩主は武蔵野の開発に力を注いだ。「知恵伊豆」と呼ばれた松平信綱は、川越藩士の安松金右衛門に命じ、玉川上水や野火止用水、新河岸川の開削、川島大囲堤の築造、川越街道の改修を行い、行政手腕の秀でた柳沢吉保は、川越に召抱えていた荻生徂徠の建議を入れ、筆頭家老の曽根権太夫に命じ、三富新田の開拓などを行った。

川越藩によって殖産政策が遂行され、農産物や絹織物・工芸品など市場競争力のある特産品開発がなされた。川越藩領の狭山丘陵で河越茶(狭山茶)の栽培が進められ、武蔵野の開墾地ではサツマイモの栽培が盛んになった。高林謙三が開発した「高林式製茶機械」によって狭山茶は隆盛することとなり、赤沢仁兵衛が考案した「赤沢式甘藷栽培法」によってサツマイモの収穫量は劇的に増加した。寛政年間に焼イモが江戸で大流行すると、新河岸川や入間川の舟運で江戸に出回ったサツマイモは川越芋と呼ばれ味の良さで持て囃され、「イモの町」のイメージも定着した。こうした領内や秩父など近郊からの物資の供給地として「江戸の台所」と呼ばれ繁栄した。

埼玉県下随一の城下町(川越藩の石高は武蔵国で最大)であったので、廃藩置県では川越県、次いで入間県の県庁所在地となった。入間県は東京の武蔵野市周辺から新座や秩父・熊谷・本庄まで含んで発足、入間県の面積は現在の埼玉県の7割を占めていた。現在の埼玉県が成立した後でも、埼玉県内で最初に市制を施行したのは、県庁所在地となった浦和ではなく川越である。明治以降も先進的な発展が続き、埼玉りそな銀行の前身であり埼玉県で唯一の国立銀行であった第八十五国立銀行の発祥地である[2]。また旧川越藩御用商人衆には横田五郎兵衛、山崎豊、黒須喜兵衛など豪商が多く、米穀取引所や民間による銀行(川越銀行や川越商業銀行)の設立や商工会議所・医師会などの発足も埼玉県内で最初である。綾部利右衛門ら川越商人の強い力で、埼玉県で最初に火力発電所や水力発電所を設け、埼玉県下で最初に電灯が燈った町でもある。

川越商人に加え上広瀬村(現・狭山市)の清水宗徳らが参画して川越鉄道が甲武鉄道の国分寺駅との間に建設された(現在の西武新宿線と西武国分寺線のルーツ)。また、川越電気鉄道が大宮との間で開通した。川越電気鉄道は蒸気機関車ではなく、その名の通り、埼玉県で最初の電車であった。川越鉄道と川越電気鉄道は最終的に合併し、西武鉄道(旧)となり、綾部利右衛門や川越藩三芳野村(現・坂戸市)出身の大川平三郎(「日本の製紙王」と呼ばれ大川財閥を作った)らが役員に名を連ねた。また、1902年(明治35年)には川越商人や川越商業銀行頭取で福岡村(現・ふじみ野市)の星野仙蔵らが東京 - 川越間の京越鉄道の敷設を計画した。これは本社を川越に置いて発足した東上鉄道に引き継がれ、大正に入り池袋駅 - 田面沢駅(現在の川越市駅の西方にあった)間で開通した。昭和になって軍需鉄道の八高線の建設が決まると川越商人たちが川越線建設を求める請願を行い、国策鉄道として省線の川越線が開通した。代わりに、川越 - 大宮間の電車(西武大宮線と改名)は廃線となった。

現在では、JR・東武東上線川越駅(乗降客数で埼玉県内では大宮駅に次ぐ2位[3])及び、西武新宿線本川越駅を合わせた乗降客数は26万人を超え、東武東上線・川越市駅もあわせると中心市街地に駅が3つある事になる。旧市街地の玄関は西武の本川越駅で、新市街地の玄関は東武の川越駅である。川越駅周辺は、大宮駅周辺に次ぐ埼玉県内第2位の繁華街として賑わっている。


東京都心 - 川越間の競合路線新宿・池袋副都心から延びる鉄道路線の多くが川越へ通じており、都心部(特に西側)で川越の文字を目にすることが多い。JR・私鉄の複数の路線で新宿・渋谷・池袋に乗り換えなしで行く事が可能である。

新宿からは西武新宿線の本川越行き、埼京線の川越行き、東京メトロ副都心線(東武東上線直通)の川越市行き、の3ルートがある。また池袋からは埼京線、東武東上線、東京メトロ有楽町線(東武東上線直通)の3ルート。渋谷からは埼京線、東京メトロ副都心線の2ルート。新木場へも東京臨海高速鉄道りんかい線(川越線直通)、東京メトロ有楽町線の2ルートで乗り換えなしで行くことができる。また、川越など荒川以西の県西部は伝統的に浦和方面よりも多摩方面に交流があり、川越線は八高線と直通し八王子に乗り換えなしで、西武新宿線は西武国分寺線に乗り入れる列車があり国分寺に乗り換えなしで行くことができる。

室町時代より川越街道(現・国道254号)で、江戸時代より新河岸川舟運で、江戸と直結した物流の要衝であり、1971年(昭和46年)には関越自動車道が練馬IC - 川越IC間で最初に完成、開通時の名称は「東京川越道路」であった。国道16号(東京環状)や首都圏中央連絡自動車道(圏央道)も通じている。



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こちらの写真は川越祭の様子だそうです。
テレビ中継されるほどの大きなお祭だとか・・・

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日本各地、本当にたくさんのマンホールがあります。とてもとても集めきれませんが、皆様のお住まいの町にもきっと素敵なマンホールがあるのでしょう。是非ともお写真をいただけたらうれしいです。
100キロ程度の画像でしたら
http://takashi-fukuyama.blog.so-net.ne.jp/2011-04-01-1にございます★まっとらんど★掲示板に写真をアップロードしていただくことができます。
また、メールフォームからも写真の添付ができるようになりました。是非ともご利用いただき、お写真を頂戴できましたら、とってもうれしいです。
http://takashi-fukuyama.blog.so-net.ne.jp/2011-03-31-3←こちらのメールフォームをご利用ください。
何卒よろしくお願いいたします。
HN,ブログやHPのURL、マンホールを撮影した場所などコメントを添えてお送りいただくととてもうれしく思います。

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