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指環のお話・・・銀婚式をお祝いして。。。。 [『ぶん★文★ぶん』]

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結婚して25年間、毎日欠かすことなく結婚指輪を身につけていました。そして、四半世紀の全ての想い出を背負った指環に今日、ねぎらいの言葉を・・・・・銀婚式から金婚式まで、これからの25年間、四半世紀の思い出を積み重ねる指環を★カレン★と自分のために用意しました。

指環の話。。。毎年この記念日に思い出すお話です

婚約指環のお話


1985年5月10日、我々は婚約しました。
ここにもとても重要なストーリーがありました。

エッセイ『婚約から結婚』(青年期) [『ぶん★文★ぶん』]
日本に★カレン★が二週間の滞在をした1985年の春。★まっと★の両親は本当に喜んでくれました。父と母に結婚したいという意志を伝えました。かわいい★カレン★がお嫁さんに福山家にやってくる。それだけで、あの無口な父までもがとても喜んでくれました。
そして、アメジスト(★カレン★と★まっと★の誕生石)の石を入手して、指輪をつくり、5月の連休明けに★まっと★は英国に向けて出発しました。
勿論、★カレン★の両親にご挨拶するのが目的でした。ロンドンには★カレン★が迎えに来てくれていて、その足でヨークシャーの★カレン★の両親のもとに出かけました。5月10日のことでした。★カレン★の両親とはいろいろと世間話をしました。それまでにも何度か★カレン★の両親とは顔をあわせていたし、ごく自然に普通のお話をしていましたが、早速、本題・・・・・即ち『婚約』について話し始めたとき、ものの見事に★カレン★の両親には反対されてしまいました。
日本という国を知らない両親、そして、★カレン★は愛だけのために結婚まで決意をかためていたとき。両親がこの結婚を簡単に許してくれると、どこかで★カレン★も★まっと★も安易な思考を持っていたのかもしれません。宗教の違い、そして白人以外は人間ではないような言い方までされてしまいました。今考えてみれば、反対するための理由をあちらこちらから拾い集めたように思います。★カレン★をそばにおいておきたかったのでしょう。
昼間、何時間話しても結論は出ませんでした。そして、日も落ちて夕食の時間。★カレン★の両親は我々を夕食に誘ってくれました。
とにかく、自分としてはアメジストの指輪をなんとしても★カレン★に渡さなくては、英国まで飛んできた意味がなくなってしまう。。。。。
そして、夕食も終わり、デザートの時間になって、『今回、自分が英国に帰ってきたのは、この指輪を★カレン★に渡すためです。彼女に渡すことを許してください。』と、★カレン★の両親に言いました。そうしたら、★カレン★の両親は『Congratulations(おめでとう)』と言ってくれました。当然、★まっと★も★カレン★もこの言葉を信じたし、とても幸せに思いました。
そして、ロンドンに二人で戻り、★まっと★は日本に帰国したのです。
この時点で挙式の日程や細かい詳細はななにも決めておらず、とにかく婚約をすることがこの英国への旅の目的だったわけです。
そして、日本に戻り、★カレン★とはまた文通の日々に戻りました。★カレン★は本当に毎日手紙をくれました。当時はまだ電子メールもありませんでしたから。。。
そして数ヶ月がたった9月のある日、、、、★カレン★からいつものように手紙が届きました。
『もう、わかれよう・・・。』という内容のものでした。
『・・・???????』・・・・・★まっと★は何がなんだかわからなかったです。
ちょうどそのころ、妹の婚約話も進み始め、★カレン★の母親が★カレン★に『妹の婚約パーティーにはヨークシャーに帰ってくるでしょ?でも、その指輪はしてこないでね。』といわれたのがきっかけだったようです。
当時、★カレン★の両親はきっと★まっと★が日本に一度帰ってしまったら、この婚約を破棄することは簡単だと考えたようです。
そこで、★カレン★は考えました。『この手紙を★まっと★に書いて、もし、★まっと★が英国に飛んできてくれたら、彼(★まっと★)を信じよう。もし、すぐに来てくれなかったら、この『愛』は終わりにしよう。』・・・★カレン★にとっては一生最大のギャンブルだったようです。
日本でのんびり生活していたプー太郎の★まっと★はあわてました。まさか、英国でそんなことになっているとは知らなかったものですから、数日後には英国に飛んでいきました。
1985年10月のはじめのことでした。
ロンドンのヒースローには早朝の到着でした。スーツ姿に身を固めた★カレン★、、、ゲートを出ると、泣いて佇んでいました。『どうしたの・・??』とたずねると、『ヒースロー空港まで、タクシーに乗ろうとしたら、頭をドアにぶつけて、その時に★まっと★がくれたオパールのイヤリングを片方なくしてしまったの・・・』。★カレン★はこう言って、泣くばかりでした。
★まっと★にはわかりました。それもあるかもしれない。でも、それだけではないはず。ほかに何か★カレン★は隠しているはず。
★カレン★は★まっと★が来てくれたことに対する安堵感。。。。そして、誰にも相談できなかった両親とのやりとりなど、話したいことがいっぱいあったはず、でも、長旅の★まっと★を気遣って、その日は★まっと★を自分の部屋まで連れて行き、仕事に出かけていきました。
その晩、★カレン★から、いろいろな話を聞きました。ショックでした。そして、★カレン★が今回あのメールを書いたのは★まっと★と本当に結婚できるかどうか・・★まっと★を試すためだったことも話してくれました。
また、唯一、★カレン★の母親方の祖父母だけは我々の結婚に大賛成してくれていることも、聞きました。★カレン★の両親の家から、祖父母の家までは歩いても5分ほどのところ。★まっと★がロンドンに来る前に祖父母に会って来たこと。そして、もう、結婚後に英国にすむことはできないこと、結婚するためには英国を脱出しないと、その糸口がないこと。数日間、寝る時間もないほどに話し合いました。
★まっと★が英国に飛んでいったことで★カレン★は大きな覚悟を決めてくれました。仕事、友達、そして家族とも離れて日本に自分が飛び出すことを。。。。。
当然、★カレン★の両親は反対しているわけですから、このことを伝えるわけにも行かず、★カレン★が勤めていた音楽大学に妹が学生として在籍していたこともあり、辞表は直接学長へ提出し、事情を話して内密に・・・・ということで・・・。
当時、★カレン★は妹と一緒にロンドンに住んでいました。妹の目を盗んで、二人でいろいろと計画を立てました。
計画1 ★カレン★のウェディングドレスを購入し、★まっと★がそれを日本に持ち帰る。
計画2 クリスマスにはヨークシャーの実家に帰ると両親には伝える。
計画3 日本までの航空券を手配する。
計画4 英国の日本人の友達に事情を話し、年末年始の帰省フライトを同じ便にしてもらう。
・・・・・とにかく綿密な計画を立てました。
そして、★カレン★と一緒に百貨店へ出かけ、ウェディングドレスを購入。
英国の習慣として花嫁のドレスは当日まで花婿は見ることはありませんし、ドレスは花嫁が母親と一緒に選ぶというものでした。そういった★カレン★の生活習慣の中の文化さえも守ってあげられることはできませんでした。
そして、航空券の手配。早速発券してもらい★カレン★のハンドバッグの中にそれから2ヶ月間、しまいこんでおくことになるのです。
★カレン★は通常の日々を送りながらも、指折り日本へのフライトの日を待ち続けました。きっと針の筵のような生活だったと思います。
★まっと★は日本に帰り、結婚式の準備に取り掛かりました。★カレン★のフライトが12月20日で、日本に到着するのは12月21日。少なくとも一週間以内に挙式と披露宴を済まさなくては、そのまま福山の家に滞在させることは難しいという日本の両親の考えもあり、名古屋市内のホテルで披露宴会場の予約。結婚式は父が勤務する南山学園のカトリックのお御堂。計画はどんどん進み、結婚式の招待状作成から席表作成など、本当に忙しい2ヶ月でした。
★カレン★は親しい仲間達とのフェアウェルパーティーや、唯一我々の結婚に賛成してくれた祖父母への挨拶。勿論、5分と離れていない両親の家ではなく、祖父母の家で時間をすごしたようです。帰り際には祖父がブラッドフォードの駅まで送ってくれて、しっかりハグしてくれて『幸せになれ。』って一言だけ言ってくれたそうです。そのあと、祖父は振り返ることもなく駅をあとにしたと、★カレン★が泣きながら話してくれたこと、絶対忘れません。★カレン★は従兄弟中でも一番早く生まれているので祖父母には、ことのほかかわいがられていたんですね。
そして、妹の婚約パーティー。両親に言われたとおり、指輪をはずして参加したそうです。そのときには『次に帰ってくるのはクリスマスね。』と母親に確認され、うなずいてロンドンに戻ったと聞いています。
12月20日、(英国時間では19日)★まっと★は★カレン★を成田まで迎えに行くために、スタンバイしていたのですが、★カレン★から国際電話が入りました。『両親にエスケープがみつかった。何とか日本まで行くから心配しないで!!』とのことでした。★まっと★は20日に名古屋を出て早朝到着予定の★カレン★を成田で向かえる予定でしたが、とにかく★カレン★が英国を出発しないことには、名古屋を出発できない状態になってしまったんです。
★カレン★の妹が自分の中だけにはしまっておけなかったんですね。★カレン★の様子がおかしいと思った妹は、こっそり★カレン★のバッグを覗き込み、★カレン★のハンドバッグの中の航空券を見つけてしまったんです。しかし、妹は出発前日まで両親に言わずに心に秘めていたんです。しかし出発前日、自分の心の中に収めておくことができなくなってしまったのでしょう。両親に電話して★カレン★が行ってしまう事を伝えたということです。★カレン★は友達に連絡して、自分のアパートをあとにし、パッキングもそこそこに友達の家に一泊。そして空港に向かったとのこと。どうにか★カレン★がフライトに乗り込んだと言う連絡が友人から入ったのは、日本時間でもう21日になっていました。友人も★カレン★を見送ったあと、クリスマスパーティーに参加し、帰宅したあとに連絡をくれたんです。とりあえず、★カレン★が飛行機に乗ったということで、翌朝、★まっと★は成田へ★カレン★を出迎えに行ったのです。壮絶な一日でした。一生忘れることは無いと思います。
とにかく、★まっと★の両親のすごいところは、★まっと★がいらいらしている間に、もし★カレン★が日本にこのフライトでこられなくても、結婚式までには一週間ある。(挙式は28日)だから、★まっと★が往復すれば、つれてこられるという計算までしていたようです。もう、すでに招待状も出ているし、披露宴のほうも準備万端。ここで、花嫁不在の結婚式を披露するわけには、当然いきませんから・・・。考えてみれば、とんでもないギャンブルを家族ぐるみでしたいたわけです。当時は父も現役でしたし、なんと言っても福山家の長男の結婚式ですからね。
でも、無事に★カレン★も日本に到着し、結婚式を迎えることができました。本当に★まっと★以上に★カレン★には壮絶な思いをさせてしまったことでしょう。★カレン★の激痩せぶりがすべてを物語っていました。出会ったころのふっくらした★カレン★ではなく、本当に痩せ細った★カレン★は最高の笑顔で結婚式に臨んでくれました。★まっと★はガチガチに緊張していたんですが、★カレン★は本当に輝いていました。それまでの苦悩から開放された喜びと、この結婚のために歩んだ道程の苦しかったことを察知せずにいられませんでした。
国際結婚・・・勿論★まっと★にとっても初めてのことだし、★カレン★にとっても初めてのこと、、、、、知らないことだらけでした。区役所にいったら、そのまま結婚できるのかと思ったら、そう簡単には行かないんですね。考えてみれば★カレン★は日本に国籍がないわけですから、英国でも、日本でも結婚を成立させるためには英国領事館での手続きなど、二人の結婚が成立するためには2ヶ月ほどの時間を要しました。でも、必死に書類を集めたり、結婚を成立させるためには本当に何でもできました。
★カレン★が日本に入国してちょうど2ヵ月後、2月14日(★まっと★の誕生日)に日本では★まっと★が筆頭として戸籍が作られ、2月21日(★カレン★の誕生日)に英国でも籍が入り、やっとの思いで、名実共に夫婦になることができたのです。
★カレン★が日本に来てから、何度も★カレン★の両親から★まっと★の実家に電話が入りました。そのたびに『★カレン★、電話にでる?』って、聞いたんですが、★カレン★は首を横に振るだけでした。それから丸々一年、★カレン★は両親と口をきくことはなかったんです。1986年10月に、(我々が結婚した翌年)英国の妹が結婚しました。勿論、我々は参列することはありませんでした。
いつの日か、姪っ子や甥っ子がどうして両親の結婚式に、我々が居ないのかと写真を見ながらたずねる日も遠くないのでしょう。この話を姪や甥に話さなくてはならない日、辛いことになりそうです。
我々のために唯一、英国サイドで我々の結婚に賛成してくれた★カレン★の祖父母までもが、我々の結婚のあと、★カレン★の両親とは口をきくことがなかったんです。そして、1986年11月に★カレン★は日本でピアニストデビューします。
このときのプログラムを持って同じ年12月に英国の★カレン★が勤めていた音楽大学で★まっと★と★カレン★はリサイタルを開催しました。前にも述べたように、妹はこの音楽大学の学生でしたから、当然、妹の耳にもその知らせは入り、演奏会当日、妹に会うことができました。最初、妹は★まっと★のことを人攫いでも見るような顔でにらみつけて、わーっと泣き出しました。でも、これしか我々が結婚できる方法はなかったのだと、彼女もわかっていたのだと思います。
そして、ヨークシャーの祖父母の所にも行きました。両親のところには本当に近いんですが、窓際の部屋に出ることは無く、誰にも見つからないように祖父母との時間を過ごしたことを覚えています。ヨークシャー滞在中も結局、★カレン★は両親の家である実家に立ち寄ることも無く、ロンドンに戻りました。そして、日本に帰る前日、我々はロンドンでは★まっと★の英国時代のマネージャーの家に宿泊していたんですが、突然、★カレン★の父親が現れました。我々が英国に帰っていることを知り、そして、★まっと★のロンドンの住所に飛んできたようです。それもそのはず。★まっと★が留学中に使用していたピアノを★カレン★のアパートに移動したときの、ピアノ運送の契約書から★まっと★の住所を入手したようです。一年ぶりに★カレン★も父親に会いました。とても重苦しい空気が漂っていました。しかし、結婚して一年という歴史がもうすでに積み上げられていたのです。
翌日、我々は日本に向けて英国をあとにしました。
この再会のときに、我々は日本の新居の住所と電話番号を★カレン★の父親に渡して日本に帰国したのです。しかし、★カレン★自身にはまだ心の準備ができておらず、こちらから英国の実家に連絡などの電話をすることは、まだありませんでした。一年という時間が作り出す心の距離は思った以上に遠いものでした。
そして、数週間後、★カレン★の母親から国際電話が入りました。
もうすでに★カレン★も日本で仕事をしていましたので、ちょうど★カレン★が不在だったときのことです。
『バーバラよ。★カレン★の母親のバーバラよ。昨晩、私の父親が心臓麻痺で亡くなったの。★カレン★に伝えて頂戴。』
★まっと★はとても信じられませんでした。ほんの、数週間前に一緒に食事をしたり、散歩をしたり、すばらしい時間をすごしたばかりなのに、、、。
ちょうど日本に帰ってきて、英国滞在中の写真も現像が仕上がってアルバムを作成したところでした。レストランで一緒に食事をしたときの写真や、祖父母の自宅での写真。★カレン★が帰ってきたらこのことを伝えなくてはならないし、どうすればよいのかわからなかったです。
そして、★カレン★が帰宅し、二人で英国滞在中のアルバムを見ながら、
『ねぇ、★カレン★、英国楽しかったね。一年の時間を要したけど、お父さんとも会えたし、話もできたし、これはこれでよかったんだよね。』
『これ見てごらん、おじいちゃん、めッちゃ楽しそうだよね。本当に★カレン★のことがかわいくて仕方ないんだね。素敵なおじいちゃんだもんね。素敵な笑顔だもんね。』
★まっと★は★カレン★の顔が見られませんでした。だって、涙が止まらなくって、、、、、
『こんなに素敵な笑顔、もう見られないんだよ・・・・・・。』
★まっと★の声はもう上ずってしまいました。
★カレン★が『どういうこと・・??』って、聞き返すので、
『今日、★カレン★が仕事に出かけてすぐに、義母さんから電話が入ったんだよ。それで、おじいちゃんが亡くなったって・・・』
つらかったなぁ・・・★カレン★も一気に涙が溢れ出し、二人してわ~ん、わ~~ん、泣いてしまいました。
そして、★カレン★は実家に電話して、一年ぶりに母親と会話したんです。まさか、こんなことで一年ぶりに母親と話をすることになるとは、★カレン★も、また母親も思っていなかったでしょう。
祖父はきっと娘(★カレン★の母親)と孫(★カレン★自身)が会話できる状態を作ってくれたんだと、今でも★カレン★と話しているんです。

結婚記念日は1985年12月28日ですが、籍が英国でも日本でも入ったのは1986年2月のこと。そして、親子の関係が修復できたのは祖父がなくなった1987年1月のこと。
両親とも自然体で話せるようになったのは1987年12月のクリスマスにヨークシャーの実家に帰ったとき。足掛け3年にわたる、我々の結婚へのプロセスということになるのでしょうか。

結婚にたどり着くまでには本当に色々なことがありました。
でも、その全てが素晴らしい思い出になっているのです。

Sweet 10のお話


エッセイ『スイート・テン』(青年期) [『ぶん★文★ぶん』]
10年目の結婚記念日は・・・・
通常、英国ではエタニティー・リング(永久の愛の指環)を結婚一年目に贈ります。
でも、結婚当初・・そんなお金なかったし・・・・
エタニティー・リングは通常、カマボコのリングに
ぐるりと一周ダイヤが埋め込まれているものです。

今から15年前のお話・・・・

これ・・・1995年の11月27日のおはなし・・・・
即ち、10年目の結婚記念日の一ヶ月と一日前のお話・・・・・・・・・

毎年、英国にかえって結婚記念日の12月28日を英国で過ごすものですから、
日本では一ヶ月早く、11月28日に二人で結婚記念日をお祝いするのが我が家での習慣です。
今年は英国に帰っていないので、12月28日の今日、お祝いですけどね・・・。
.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪

当時、いつも★カレン★と自分がジュエリーを購入するお店は決まっていました。

自分はデザインや石などを選んで
★カレン★に普段でも出来るようなSweet10を
オリジナルに近い状態でオーダーしていたんです。
そして、自分がそのお店へ指環をいただきにでかけたとき・・・。

『あっ、福山さん、ご用意できていますよ。』と女性店員。
出てきたのは・・・・・・・なんと、男性用の指環!
ダイヤモンドでした。



自分がこのお店を訪れるたびに欲しがっていたダイヤの指環・・・・。
『あれっ?・・ちがうよ! Swet10をたのんでおいたんだけど・・・。』・・・と、★まっと★さん・・・
このとき、バレてしまったんですねぇ・・・・・

自分は★カレン★に内緒でSweet10を注文し、
★カレン★は自分に内緒で自分のダイヤの指環を注文して
サイズも自分に合わせておいてくれたんですねぇ・・・。

『しらなかったぁ・・・・・・・。』

でも、そこで大失敗しちゃった女性店員さん・・・・
しっかり店長さんに叱られていました・・・。
『ちゃんと、伝票を確認しなくちゃだめだろう!!!』・・・って。

でも、★まっと★さんは知っちゃったんですねぇ・・・・。
……(-。-) ぼしょ・・・・

これがまたまた黙っていられない★まっと★さん・・・・
大人じゃないんですねぇ。。。(ヘ;_ _)ヘ 爆 (ヘ;_ _)ヘ

店長さんが必死になってペコペコと頭を下げてくださっていました。
『すみません、申し訳ありません、本当にごめんなさい。・・・・・・・・』
謝罪のフレーズを全て出し切ってもまだまだ足りないほどに謝罪してくれましたが・・・・

★まっと★さんは自分がダイヤの指環をもらえることがうれしくて・・・
(ヘ;_ _)ヘ 爆 (ヘ;_ _)ヘ
やはり、相変わらずチャランポランな★まっと★さんであります。

でもね、、でもね。。。でもねぇ~~~
ちゃんと★カレン★がオーダーしていた自分の指環はいただかずに帰宅!

★カレン★のSweet10だけ持って帰ってきました。
でも、★まっと★さんの顔(●⌒∇⌒●)がゆるんじゃってぇ~~~~。。。

結局、しゃべっちゃったぁ~~☆
もちろん、偶然その宝石店に立ち寄ったら・・っていうことでね。

そうしたら・・・予期せぬ事態に急転直下・・・・

★カレン★、、、、、号泣し始めちゃったんです。・・・・

必死で隠してこそこそ注文して自分が取りに行くつもりだったんですよね・・・
それがお店のちょっとした手違いで・・・全ての苦労がおじゃん・・・
……(-。-) ぼしょ・・・・

どうしよう・・どうしよう・・・・
・・・・・オロオロ★まっと★さん・・・・。

でも、、、仕方がない・・・・

何とか★カレン★をなだめて、、、
その日はおやすみなさい・・・ということになりました。

そして、翌日の一ヶ月早い結婚記念日・・・・。

★カレン★は大きなステーキを用意してくれました。
そして、食事を終えて、二人でくつろいでいるとき・・・・・

★カレン★を椅子に座らせて

『目を閉じてごらん!Close your eyes.』っていいました。

『ここは2005年4月2日、成田空港のリムジンバスのりば・・・
Now we are at the bus stop in Narita Airport.』

◇◇解説◇◇

1984年に日本に帰国し、それからは遠距離恋愛を続けてきた我々・・・・。★カレン★が初来日したのは1985年4月2日。二週間のホリデーの予定で・・・・。
自分が仕事でニュージーランドから日本に帰ってくる便にあわせて★カレン★のロンドンからの便を手配していたんです。無事に成田で★カレン★に会うことが出来て、そのまま名古屋に★カレン★をつれて帰るという魂胆。。。。。

そして、リムジンバスのバス停で自分は★カレン★に言ったのです。

『★カレン★、僕達は結婚するんだよ。We are gonna marry.』
『だから、僕は★カレン★に両親を紹介するからね。
So, I am going to introduce my parents.』

『Oh, yes?』・・・・・・・・これが★カレン★の答えでした。

もちろん、★カレン★が日本に来てくれるということは、お互いに結婚を意識していたのは事実だし、★カレン★にも『結婚』という二文字が頭の中でイメージしていたのですが・・・・・、英国人の★カレン★ちゃん・・・・
やはり、プロポーズというのは・・・・男性が膝をついて両手を広げてその右手には婚約指環。。。。
そして『WILL YOU MARRY ME? 僕と結婚してくれますか。』・・・・・・・・・というのが英国風スタイルだし、当然そういうプロポーズがあるものだと思っていたらしい・・・・

そんなこと、★まっと★ちゃん・・できまっしぇぇ~~ん!!
(ヘ;_ _)ヘ 爆 (ヘ;_ _)ヘ
(/o\)恥ずかしすぎですよね・・・・

でもね・・・・・結婚してから10年・・・・・
飲み会のたびに、友達にも言うんです。。。★カレン★が・・・・

『私、プロポーズされてないもん!!』って・・・・。
……(-。-) ぼしょ・・・・

それって、辛くないです???
……(-。-) ぼしょ・・・・

◇◇・・・・・・・・・・・・・・ここまでが解説であります。。。

『Karen, Open your eyes! 目を開けてごらん。』

そこには膝をついて手にはSweet10、そして両手を広げている★まっと★さん・・・・

成田のバス停ではなく、ほかに誰が居るわけでもないけど・・・・・

めちゃくちゃ恥ずかしかったです。。。。。。。

そして、、、、、、、、、、、、

『Will you marry me? 僕と結婚してくれますか?』

再び。。。超(/o\)恥ずかしい

そして再び急転直下・・・・・・・・・・・・・・・

★カレン★のまん丸の大きな二つの目・・・・・・・
めちゃくちゃウルウル・・・そして、ポツリポツリと次から次に大きな涙・・・・

そして、★カレン★の左の薬指の『結婚指環に重ねて
このSweet10をはめてあげました。

二日連続、、、、、、、、、、、、、、
★カレン★を泣かせてしまいました・・・・
……(-。-) ぼしょ・・・・

10年前、成田ではコッパズカシクテ肯定文でしか言えなかった・・・
『僕たちは結婚するんだよ。』・・・・ってね。
でも、結婚して10年してやっとポロポーズができました。

よかった、よかった・・.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪

そのあと、★カレン★はその日の日中に買い物にでかけ、
自分のダイヤの指環を受け取ってきていました。
店長さんは★カレン★には何も仰らなかったようです。
もちろん、★カレン★も何も言わなかったみたいですけどね。

『これは何かわかってるでしょ・・・』・・・って★カレン★がボソッていいました。
そして、指環のボックスをそっと差し出しました。

『指にはめて!』って、★まっと★さんは自分の指を差し出しました。
★カレン★が指にピッタリのダイヤの指環をはめてくれました。

こんなことも24回目の結婚記念日に思い出します。
本当に色々なことがあった24年ですが、来年の銀婚式に向けて
もっともっと素敵な思い出をたくさん作っていかなくっちゃね・・・
.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪

そして、最後に・・・・

この10年目の結婚記念日以来、
★カレン★は絶対に『私、プロポーズされてないもん!』って言わないです。
どんなオチャラケのお酒の席でも・・・・・

10年かかったけど、ちゃんとプロポーズしてよかった。
.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪
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ねこじたん

銀婚記念おめでとうございます
これからもずっと ラヴラヴでいてくださいね
by ねこじたん (2010-12-28 06:38) 

★まっと★

★ねこじたんちゃま★(●⌒∇⌒●)
ありがとう。
今日一日楽しんできます。
o(*'▽'*)/☆゚'・:*☆
by ★まっと★ (2010-12-28 07:59) 

マイタキ

素晴らしい、ご体験ですね。ずいぶんご苦労され今の幸せを捕まれました。奥様も言葉では言い表せないくらいの、心労を体験されましたが、本当にマットさんと結婚され良かったですね。苦労が報われるとは、このことですね。まだまだ長い人生、紆余曲折が予想されます、力を合わせて、素敵な人生を送ってください。
by マイタキ (2010-12-28 14:46) 

ちゃーちゃん

25回目の結婚記念お目出度うございます。
★まっと★さんとカレンさんの若かりし日のお話・・・特にカレンさんの情熱と★まっと★さんを思う一途な気持ちに最後の方では涙が出て来ました。
若いって事は何者をも恐れない強さがあるのですね。
今もお幸せですが、此れからもどんな事があってもカレンさんを守ってもっともっとお幸せにしてあげて下さいね・・・
by ちゃーちゃん (2010-12-28 16:21)
by ちゃーちゃん (2010-12-28 16:41) 

★まっと★

マイタキさん(●⌒∇⌒●)
ありがとうごいざいます。おかげさまで素晴らしい銀婚式を過ごすことが出来ました。確かに★カレン★には苦労させてしまったと思います。でも、本当に今は幸せ・・これからの紆余曲折にも一つずつクリアできるようがんばらねばと思っております。

ちゃーちゃん(●⌒∇⌒●)
おはようございます。
確かに若いからこそ出来たこともあるかもしれません。でも、★カレン★ががんばってくれなかったら。・・・今の幸せが存在しないことは確かですね。これからも二人で元気に幸せに暮らして生きたいなって思っています。ありがとうございます。
by ★まっと★ (2010-12-30 05:33) 

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