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エッセイ『大学受験』(青年期) [『ぶん★文★ぶん』]

★まっと★と姉は年子の姉弟です。姉は小学校のころから獣医になることが夢でした。そして、幼いころから北海道大学に憧れを持っていました。★まっと★は全然何も考えずに楽しい高校生活を送っていました。なんとなく高校も2年生になると周りが大学受験の空気を漂わせてきます。南山という学校は私立でもあるし、進学する生徒が殆どでしたので★まっと★も気分は受験生。しかしながら実際の努力は伴いません。また、進路も全く決定していませんでした。
ピアノも嫌になったわけではないのですが、何となく周りは受験ムードが漂ってるし、一学年上の姉・敦子は北海道大学受験に向けてがんばってるし、ピアノなんかしてちゃいけないんだって、勝手に思ったんですね。
そこで両親にキッパリ『受検があるし、ピアノやめなきゃ。』って言っちゃったわけです。そして、両親も納得し、ピアノをここで一応中断したわけです。しかしながら、勉強がはかどるわけでもなく、別に進路が決定した和犬でもなく、目標も皆無なわけですから、受験生と口走りながらものんびりを日々をすごしていました。そこで、何を血迷ったか、勉強ができるわけでもないので、自分の学力で受検できそうな国立大学を探し始めたわけですよ。
そろそろ★まっと★は高校3年生というころ、即ち、姉・敦子は受検ということになります。それが、なんと全滅の結果に終わってしまいました。ここで、浪人決定。★まっと★ののんびり高校生生活ももう3年目を迎えていましたし、そろそろ自分の進路をはっきりと決めなくてはいけない時期に来ていました。
当時はまだ、国立一期校、二期校の時代です。姉は国立一期校、北海道大学が第一志望校です。3月の初旬に一期校の入学試験があります。北海道に飛行機で行くわけね・・・・。★まっと★は姉が飛行機に乗れることがとてもうらやましかった。一年目は飛行機で旅立って、飛行機で帰ってきて、浪人決定して、また来年、飛行機で北海道に行くことが本当にうらやましかった。そこで★まっと★は決めたのです。まだ、開校して間もない琉球大学の教育学部養護学校過程。レベル的にも何とかなりそうだし、理科の苦手な★まっと★は理科の変わりに音楽で受検ができるとの事。ピアノを長年弾いてきたわけだし、理科よりも点数が出るのは当たり前だと思ったわけです。こういう事(楽な道)を探すのは得意な★まっと★です。もし、不合格だったら、翌年、また飛行機に乗れる!!これも姉の失敗を見て学んだことでした。うまくいけば?(不合格だったら)二回も飛行機に乗れる。かなり打算的な志望校決定でしたが、さっさと沖縄のホテルも予約。受験準備に入りました。この報告はちゃんと両親にもしました。しかしながら、父の一言、『もし、理科の代わりに音楽で受検するのならば、一応音楽の先生についたほうがいいだろう。』というのです。これは予想外の展開で★まっと★もびっくり。そこであてがわれた(師事した)のが、当時、南山中学高等学校男子部の音楽の教諭をしてみえた都築昌子先生でした。ここでまさかの人生の急展開。
★まっと★が琉球大学を目指していたのは養護学校の先生になりたいためでも、沖縄に強い憧れがあるわけでもなんでもなかったのです。ただ、飛行機に乗りたかっただけ。国立一期校の受験日は同じですから、浪人している姉が札幌行きの飛行機に、それで、★まっと★は沖縄那覇空港行きの飛行機に名古屋の飛行場から手を振りながら『お互いにがんばろうね~~~。』なんていいながら反対向きに飛んでいくのがかっこいいと思ったからだったんです。
都築先生に指示していたら、『先生のほうから音楽学校を目指さない?』なんてい言われちゃったんです。名古屋音楽短期大学が四年制大学移行昇格申請を提出しているので、うまくいけば★まっと★の学年から四年制大学になるしここなら多分大丈夫だと仰るんです。そんなことを言われたのが高校3年生の11月。それまで、沖縄行きの飛行機に乗るために琉球大学を目指していた★まっと★はなんだったんでしょう?都築先生には『でも、親がなんというかわかりません。』とキッパリ答えたものの、これがまた大変。父は当時南山中学高等学校男子部副校長、そして、都築先生は同校の音楽教諭です。ということは、父と都築先生とは職場が同じということ。そこで都築先生が『じゃぁ、私がお父様とおはなししてさしあげるわ。』ありゃりゃ・・・・。
これにて一件落着・・というか、父が帰宅して『都築さんから聞いたが、お前、音大に行くのか?』と聞かれて困惑する★まっと★。『行けるんだったら、やってみたらどうだ?』とのこと。こんなにもスムースに話が進むとも思っておらず、★まっと★は再び困惑。一応、福山家の長男だし、音楽の道って、なんとなく食っていけなさそう・・・。そう思いながらも面白いかも・・・などと胸を躍らせてしまいました。母はあんまりいい顔をしていなかったように思います。
そんなわけで、話はとんとん拍子だけれでも、★まっと★の飛行機に乗りたいという希望はここで粉々に消え去ったわけです。沖縄のホテルはキャンセル。
しかしながらもうすでに11月。受検まで3ヶ月しかありません。この時点で★まっと★は音楽理論さえ知りませんでした。『音程』・・・・??なに・・それ・・・??っという状態です。ここから猛勉強しました。音楽高校の連中は3年間音楽理論をちゃんと学習しているし、その3年分を3ヶ月で勉強するわけですから・・・・。一生の中であんなに勉強したことって無いでしょうね。自分の実力から、東京の大学を二校、名古屋の大学を一校受検することになりました。まさか、合格するとは思っていなかったのですが、何とか3戦2勝1敗。そして、父は★まっと★に東京の学校に行ってほしかったようですが、お金もかかるし、東京に行く勇気が無かったんですね。ただ、母が名古屋の音楽大学だったらグランドピアノを買ってくれると約束してくれたので、名古屋音楽大学に入学することを決めたのも否めない事実です。。
★まっと★は私学の大学だったので2月中旬には受検も発表もすべて終りました。しかし、姉はまだ北海道大学の受験、そして、またもや失敗。★まっと★は自分は受検も終わり、進学する大学も決定していましたが、あまり騒ぐこともできず、二期校の受検が3月の下旬。発表は4月のはじめでした。それまで、合格の興奮もなにもなく、姉の受験が終わるまでひそやかに家でおとなしくしていました。ただ、母との約束『名古屋の音楽大学だったらグランドピアノを買ってくれる。』この言葉を忘れることなく、両親には何も告げず一人でヤマハ名古屋店に出向き『グランドピアノください。』と言って、さっさと注文しちゃいました。
姉は二期校の受検を終え、やっと一息。この年は私学の大学にひとつ合格をもらっていた姉だったので、二期校受検が終って姉と二人で妙高高原へスキーに出かけました。安全圏の二期校は信州大学農学部を受験。そして、スキーから帰った日が姉の発表の日。当時は大学合格発表が新聞にも出ていましたから、夜行列車で名古屋に帰ったら姉の合格が待っていました。
そして、姉は信州大学農学部へ、そして★まっと★は名古屋音楽大学へ進学したわけです。
都築先生に師事しなかったら、ピアニスト福山孝は存在しなかったことになりますね。
多くの人々に影響されながら人生を歩むのだと言うことをしみじみと感じます。
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KOZOU

ほんとうに運命というか不思議ですね。
飛行機に乗りたいから、今は笑い話かも知れないけれどようくわかります。
昔はそれこそ雲の上の話、わたしも最初乗ったとき、興奮したです(^_^;)
音大受験がんばられたのですね。
でもそれから英国留学、奥様との結婚、やっぱ道は誤っていなかったですね(*^_^*)
by KOZOU (2009-04-07 21:52) 

★まっと★

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
現在までの人生・・
ミスはあったにせよ・・間違ってはいなかったと思っています。
でも、、もうちょっと景気がよければなぁ・・・
……(-。-) ぼしょ・・・・本音?
by ★まっと★ (2009-04-08 06:14) 

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