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Chinto物語 その23 [Chinto物語]

■ヒヤチント物語 (NO.23)
小林君が南山に入学したのが昭和31年。びくびく(何か仕出かさないか?)しながら昭和37年に無事卒業。一安心。小林のおじいちゃんが、育友会(P.T.A)の会長の時、新校舎建設の話が持ち上がり、募金集めで大変な思いをした印象が今でも残っています。お陰で立派な男子部の校舎が建ちましたがね。私は、教務で、時間割係りが多かったので、担任は免れ、二回目の担任が、昭和37年、中2(橋元恒雄君達)でした。それから昭和42年卒業するまでの5年間担任でした。卒業の時が丁度40歳でしたから、まだ若いし、しかも学年主任もやっていましたので、一番印象深い学年でした。随分、殴られた生徒もいたようですが、私のは暴力ではなく、愛のムチだったので殴られて、それを根に持って恨んだ者は一人もいなかったようです。一番楽しい、教師に生き甲斐を感じていた充実の時でした。
敦子さんも孝君もまだ小学生の頃ですよねえ。生物を教えるのを止めて。数学に変わった頃の話でした。


■★まっと★のコメント
小林社長にはかなりびくびくさせられたようですね。でも、昭和37年に無事に卒業されたわけですが、その年にカレンが生まれたわけですね。地球の裏側・英国で生まれたカレンが我が家のお嫁さんになるなんて、そのころは誰も思いませんでしたね。あの当時は学校というところで先生が生徒を殴ることに関しても規制もなかったし、軍国主義から抜け出たばかりの日本の教育においてはあまりにも当たり前のことだったのでしょう。今の日本ではとても考えられませんね。
父・徹から、『一番楽しい、教師に生き甲斐を感じていた充実の時』、といった発言、なんだかしっくりこないのは自分だけでしょうか?そういった発言を父親から聞いたことがないからでしょうか?とても不思議な感じです。


■姉・敦子のコメント
父・徹から、『一番楽しい、教師に生き甲斐を感じていた充実の時』、といった発言!しっくりこないかなぁ~?
お父さんこそ、楽しいこと大好き!辛い事いやな事嫌い!生き甲斐、充実が必要な人だと思いますが・・・・・?自分でやると決めた事はやり、やらない事はだれが何と言おうとしない。そんな感じですが・・・・・ちゃいますか????

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KOZOU

『一番楽しい、教師に生き甲斐を感じていた充実の時』、仕事に生き甲斐をもてたときが最高の時ですね。(*^_^*)
たしかにわたしの子供のころは先生が時に殴っていたですね。
今では確かに考えられないですね。
by KOZOU (2009-04-14 21:42) 

★まっと★

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
時代は変わりましたよねぇ。。
でも、教師のあり方そのものが本当に変化してきて、自分も時代をキャッチアップしながら日々、教員としての生活を送っています。
by ★まっと★ (2009-04-15 08:01) 

gyaro

私も教師から殴られたり、
竹刀で叩かれたりしてました^^;
今は大事になりそうですよね。。。
痛かったけどいい時代でした(笑)
by gyaro (2009-05-10 15:53) 

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