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Chinto物語 その30 [Chinto物語]

■ヒヤチント物語 (NO.30)
昭和29年(1954年)4月に南山に就職してから、昭和62年(1987年)3月停年を迎えるまで、長い年月でした。良く働いたものだなあと自分でも思います。満足感溢れる教員生活でした、担任をしたのは、3つの学年だけでしたが,5年間や6年間持ち上がる事も出来たし、最後まで、授業は持ち続けたし、満足しています。
昭和48年4月(1973年)に教頭、昭和50年9月には神父様以外では初めてという副校長、そして、昭和52年9月から南山学園の理事も勤める事ができました。定年後は,理事・学監として平成3年3月までお勤めして退職しました。楽しく、充実した時代でした。そして南山で最後は女子部で終わりました。授業はそれまでにも受け持った事はありますが、正式に最高責任者として籍を置くのは初めてでした。毎週、全校生徒が集まる朝礼で、校長訓話と言うのがありましたよね。女子部の特徴の一つにベレー帽がありましたよね。それをかぶらない生徒が多くなったというので、朝礼の訓話でかぶるようにと話したら女子部の生徒の誰かが、一枚のポスターを作りました。モデルは私でした。上半身の似顔絵でしたが、シャツを着せられていました。なんと、ベレー帽が一ぱい模様として入ったシャツを着せられていました。当時の女子部の生徒はこのようにウィットにとんだ生徒が多かったようにおもいます。学校祭のポスターにも似顔絵がなったり、女子部でも、なかなか人気があったようです。授業だけは最後まで、ちゃんと持ちつづけることができました。満足です。授業があっての教師ですからね。退職したのはいいけれど、さてその翌日からどうしたのでしょうか?明日を見てね!


■★まっと★のコメント
はいはい、覚えてますよ!!素敵なポスターでしたよね。そんなに口うるさくベレー帽をかぶるようにいったのですか?当時は南山の女子部にも名物先生がいっぱいいらっしゃいましたよね。名和先生や徳島先生、千葉先生に橋倉先生。須田先生、小高先生、伊藤肇ブラザー。残念ながら他界された先生もおられますが、本当に女子部は優秀な生徒たちで、なおかつユニークだったのではないでしょうか?最近の女子部の生徒さんにはお会いする機会もないのでよくはわかりませんが、父・徹もすばらしい同僚に恵まれていたんですよね。ひとつの時代だったんですね。
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ちゃーちゃん

ご自分のお仕事に誇りと自信を持って最後まで終わられた事は本当に幸せでしたね・・・
お疲れ様でした。
by ちゃーちゃん (2009-04-21 12:45) 

★まっと★

ちゃーちゃん(●⌒∇⌒●)
そうですね。父は何も未練がないと思います。
ただ、南山関係の集まりに呼ばれるととてもうれしそうな顔をして出かけていきます。
それはそれでいいと思っています。
by ★まっと★ (2009-04-21 14:03) 

KOZOU

ほんとに仕事に最後まで誇りをもって終えられる、最高のことですね。
永い間、ほんとにお疲れさまでした。
by KOZOU (2009-04-21 17:44) 

★まっと★

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
そうですね。お仕事から遠のいた今でも、そういえることは素晴らしいですよね。
自分も目指さなくては・・・
by ★まっと★ (2009-04-21 20:22) 

gyaro

ベレー帽が一ぱい模様として入ったシャツ、
気になりますね~☆
名物と言われるほどの先生方も
気になるところです^^
by gyaro (2009-06-15 10:50) 

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