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Chinto物語 その25 [Chinto物語]

■ヒヤチント物語 (NO.25)
昭和29年(1954年)生物の教師として、南山に入り、翌昭和30年(1955年)5月5日京都の河原町三条カトリック教会(現在、犬山の明治村で保存)で結婚式を挙げてから2005年5月5日には,金婚式を迎えます。母さんとそれまでは、何としても元気で生きれたら良いなあと話していました。
さて、生物の教師となったものの、男子部の理科室には実験設備がなく、口で喋る講義のみの授業となって全然面白みを私自身が持てず、ある時なんか、天気のいい日に、運動場の草むしりをさせて、これも理科の実験だと生徒に豪語した覚えがあります。多分、小林君たちの学年だったと思います。それに、理科の担当だとある特定の学年のみを教えるので持ち上がりというのが、特に高校では少なく,従って担任は,英,数,国の教師に偏り安い。教師である以上、担任はどうしてもやりたい。理科の担当では、その機会に余り恵まれない。それなら、理科を廃業して、数学の教師になろうというわけで、昭和37年から数学科に担当を変更して、その年に、中二だった橋元君,浅井君達の学年の担任となり、高校を卒業するまでの5年間,持ち上がって担任したのです。次の時は、中一から高三まで6年間担任しました。右近君達の学年です。彼等の卒業が、昭和48年で、これが担任の最後でした。その後は、偉くなり過ぎて、担任は持てませんでした。残念!
教員になるには、教員免許が必要です。中学や高校の免許状には理科とか数学とか、その教科が限定されています。そう簡単に理科から数学科には変われません。免許状について、次回に触れて先に進む事にします。


■★まっと★のコメント
金婚式を二人で迎えられる夫婦は実際にはそれほど多くはないのかもしれませんね。すばらしいことだと思います。
草むしりが理科の実験だというのはかなり強引だと思いますが、理科の担当であったとしても持ち上がりでなければ担任はできるのでしょうね。ただ、せっかくの六年間一貫教育の学校の中で橋元さん、浅井さんの学年が5年、そして右近さんの学年が6年、この二つの学年しか持ち上がっていないというのはかなりの驚きです。そうですね、右近さんの学年が卒業したのが昭和48年で★まっと★が卒業したのが51年ですね、しかしながら右近さんの学年の卒業時はもうすでに学年主任か副校長にになっていたはずです。ですから、数学教師として持ち上がった最後の学年ということになるのでしょうね。
確かに、教師として教壇に立っていなければ学校で働く意味がないという父・徹の言葉は覚えていますね。★まっと★のような非常勤講師は担任を持つことはありえないので、教壇だけで勝負するしかないのでしょう。担当科目を変更するときの父・徹の猛勉強は幼いころ、母・澤美から、よく聞かせれていました。父・徹の口からは一度も聴いたことがないので次回がとても楽しみですね。

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コメント 3

KOZOU

ほんとですね。
理科から数学に変わる、大変だったと思います。
わたしは数学は大の苦手でしたが(^_^;)
子供の好きな先生はほんとに担任を離れることをいやがられますね。
by KOZOU (2009-04-16 22:57) 

★まっと★

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
自分も数学はめちゃくちゃ苦手でしたよ。
理系の脳みそは母のお腹の中に忘れてきました。
by ★まっと★ (2009-04-17 09:00) 

gyaro

草むしりのエピソード、笑わせていただきました^^
理科から数学へ。。。
その過程も興味津々でございます☆
by gyaro (2009-05-22 10:59) 

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