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Chinto物語 その1 [Chinto物語]

★まっと★の父親・『福山 徹』(洗礼名・ヒヤシンス)の物語です。
このエッセイは父からのメールを編集して作成しています。★まっと★が子供のころの父親は、特別に話し好きであるとかではなく、どちらかといえば無口な父親でした。その分、母親の澤美はいっぱい、いろいろなお話をしてくれましたけどね。そんな『福山 徹翁』の今までの人生を文章にして綴っていきたいと思います。
ちなみにこの物語は『その1』~『その50』まであります。連載は長いものになります。

■はじめに
父・福山 徹は大正15年8月17日に上海で生まれました。そして、祖父・福山清一郎も教員であり、その息子の父・徹も結局は同じ教員の道を歩むことになります。(不思議なことにその息子・孝(★まっと★自身)も教員生活を送っているのは何か遺伝子の悪戯でしょうか。そこへいたるまでの父の人生については母から聞いている部分以外は★まっと★も、また、姉や母・澤美もまったく知らなかったことがたくさんあります。それを退官して時間と余裕ができたのか、父が今になって少しずつ彼自身の人生を紐解きながらメールで語ってくれているのです。そんな父の生き様を何らかの形で、残しておきたいというのは、福山 徹の長男としての誇りでもあります。
★まっと★自信も結婚するまでは本籍を長崎県五島列島においていました。父親の本籍が五島にあったからです。しかしながら国際的な活動を始めた★まっと★にとって、パスポートの更新の時期ごとに五島の親戚に連絡をとり、戸籍謄本だのを取り寄せることは里の皆さんにもかなりご迷惑をかけてしまうということもあり、婚姻届提出の際に本籍を名古屋へ移しました。しかし、五島には福山家のお墓もあり、自分のルーツを考えるとき、はずすことのできない重要なスタート地点であることは事実です。五島列島はすばらしいところで入り江にはたくさんのカトリックの教会があり、海から見えないところにはたくさんのマリア像がおかれています。しかしながら、福山家は五島時代からカトリック信者だったわけではないのです。父が京都に出てからの信者です。実家には仏壇もありました。父は幼少のころからカトリックに自然な形で触れていたのでしょう。そして、京都で彼自身のなかで大ブレークしたというわけなのではないでしょうか?
そんな父・徹の物語を皆さんにご披露したいと思い、父からのメールを織り交ぜながらこのエッセイを書き綴ってみたいと思います。


■ヒヤシンス物語(NO.1)
昭和20年8月、日本は戦争に敗れて敗戦国となりました。それまでは戦争中なので、男の子は皆。軍人に憧れを抱いていました。私もそういう男の子の一人でした。当時、陸軍士官学校と海軍兵学校が皆の憧れのエリート校でした。 私は、当時から近眼だったので海兵は避けて、陸士を狙いました。ただの軍人ではなく、職業軍人になるのだから、凄い競争率で、40倍以上の倍率だったと記憶しています。昭和18年に陸士を受験し、当時、最も煩かった憲兵の身元調査もあったりして、無事、合格。憧れの職業軍人として昭和19年に入校いたしました。陸士には予科と本科があって、最初は予科で、午前中は普通の学校と同じように学科の勉強。午後からは陸士らしい軍事教練。その教練たるや、物凄いシゴキの連続で、何時ぶっ倒れるかと思うことが何度もありました。どうにか倒れず乗り越えることが出来ましたが、苦しくてもそれを辛抱して我慢出来たからこそ、今の健康があるのだと本心から思い、今はむしろ当時のことが懐かしい思い出として鮮明に残っています。しかし、長続きはしませんでした。 予科から昭和20年、本科に進み、本科は一日中軍事教練ばかりで、陸軍歩兵士官候補生という階級でしたが,8月終戦。敗戦国となった日本国の職業軍人は、皆、米国の軍事裁判に掛けられましたが、私共は職業軍人の卵だからと言うので、裁判は免れました。当然,陸士は廃校となり、親元に帰ると言うことに成りました。私の家族は、上海(正しくは漢口)に居て帰れないのでじいさん、ばあさんの住んでいた五島に帰ったということになるのです。カトリックとの関わりはそこから始まるのであります。


■★まっと★のコメント
母親が小学校6年生のときに日本は終戦をむかえています。母からは本当にいろいろな話を毎晩、夕食後に聞かせてもらいながら育ってきました。配給の話、祖父母の話、防空壕の話、、、本当にいろいろです。しかしながら、我々子供は父親の顔をあまり見る機会がなかったんですよ。父は帰りが毎晩遅かったです。
(もちろん飲んで車の運転して帰ってきてました。飲酒運転に関しても法律でさだめられていなかったですからね。)
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ちゃーちゃん

楽しみにしています・・・
by ちゃーちゃん (2009-03-23 13:25) 

gensan

★まっと★さん こんにちは!(^^)!

ルーツは長崎だったんですね♪♪
クンクン うんうん 九州の香りがするする♪♪

私も 九州の香りしませんか(^.^)


by gensan (2009-03-23 14:31) 

KOZOU

ほんとうに楽しみにしております。
それにしても父上が★まっと★さんにメールで生涯を語り、★まっと★さんがそれをアップする、すばらしいことだと思います。わたしも子供に語りうる人生を歩まねばと気持ちを新たにしました。

陸士、海兵超難関校ですよね。
激しい訓練、ほんとにそれで心身を鍛えられたのでしょうね。
五島は本当に美しいところですよね。
教会がよく似合う。酒も魚もこれまたうまい(*^_^*)
by KOZOU (2009-03-23 16:25) 

★まっと★

ちゃーちゃん(●⌒∇⌒●)
自分のブログは画像中心というわけでもないですので、こうしたテキストものも★まっとらんど★本館から少しずつ移行していこうと思っています。
50回の連載は長いですが、お付き合いください。

gensanさん(●⌒∇⌒●)
そうなんですよ。父は長崎県五島列島で母が福岡市博多区なんですよね。
顔が少々濃いですもんね・・九州のにおいはするかな・・・
(ヘ;_ _)ヘ 爆 (ヘ;_ _)ヘ

gensanさんも九州ですか?

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
ちょっと古いシリーズなんですが、父とその家族のこれまでの歩みを家族全員で振り返る良いチャンスでした。
それで再びソネットブログにもアップして以降と思います。
50回の連載になりますので、ちょっとハードであります。

当時、難関だったのでしょうね。話にしか聞いたことが鳴く、その大変さが今ひとつ自分hあり会が出来ていないかもしれません。
でも、父は父なりに夢を抱いて入学したのだと思います。

五島でも、我が家は上五島のほうなんですが、やはり良いところです。
いつの日か、五島の親戚にも自分のピアノを聴いていただきたいものです。
by ★まっと★ (2009-03-23 19:36) 

gensan

こんばんは(#^.^#)

私も九州ですよ~~!!
マットさんに魅かれて このブログへお邪魔したのは そのせいですね・・・(^.^)

お母様も ”九州の女” なのですね♪♪
芯が強く 優しいお母様なんでしょうね☆

genは 九州女で芯の強さはピカ一☆ですが かなりの寂しがりやでございます(^┰^))ゞ テヘヘ

by gensan (2009-03-23 23:27) 

★まっと★

gensanさん(●⌒∇⌒●)
そっかぁ~☆
同郷、同郷!!
でも、自分は名古屋育ちだからね・・・。

母は大物だなっておもうとき、確かにありますね。
今でもすごいですよ!
卓球やストレッチングのコーチしてます。
もう75歳・・・いやいやまだまだ75歳。
そんな感じの母です。
by ★まっと★ (2009-03-24 08:06) 

gyaro

お父様とのやりとりで綴られているとはとても素敵です☆
野沢尚さんのお父様も京都大の名誉教授だったと記憶しておりますが、血筋といいますか、そういった絆にも強い憧れを感じます。
憲兵の身元調査。。。
想像しただけでもゾッとします^^;
今後も楽しみにしております♪♪
by gyaro (2009-03-24 11:13) 

★まっと★

gyaroさん(●⌒∇⌒●)
(^コ^)(^ン^)(^ニ^)(^チ^)(^ワ^)
父が2003年ごろに家族のMLで書き綴ったものをまとめてみました。
家族で歴史を紐解いていくのはとても楽しいものです。
50日の連載になります。ちょっと長いですが、よろしくお願いいたします。
by ★まっと★ (2009-03-24 12:18) 

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