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Chinto物語 その18 [Chinto物語]

■ヒヤチント物語 (NO.18)
昭和33年、孝君が生まれて、敦子さんとで,二人の子の親だという自覚と責任がどっしり肩に掛かってきた思いでした。よく働きました。二人の子どもは1年と10ヵ月の年の差がありますが、下の孝君が二月の早生まれなので、学年は1年違いの年子と言う訳です。スペイン系のカトリック修道院の経営する聖マリヤ幼稚園に1年違いで入園し、シスターにとても可愛がられながら元気に通園してました。星が丘から本山まで、毎日タクシーで通園という、どこかのお嬢様・お坊ちゃまのようでしたね。 ところが、敦子さんが年長組になったある日、遠足に行って帰ってきてから足が痛いと言うのです。早速、はちや整形外科病院で診察してもらったら、それまでに聞いた事もない,珍らしいぺルテスという骨の病気で、即,入院ということになりました。足の骨が上から押しつぶされたようになっている病気です。そういえば、敦子さんはお転婆娘で、アパートの前の遊園地の滑り台の高いとこから飛び降りていた子どもでしたよね。ハチヤ整形外科に入院して足の手術を受け、それから数年、敦子さんの肉体的にも精神的にも苦痛な時代のはじまりです。親が、敦子さんの方ばかりに関わらねばならなかった為。孝君にとっても気の毒な、福山家にとっては,予期せぬ昭和30年代の大事件でした。


■姉・敦子のコメント
多少訂正個所があります。その1.私はぺルテスで手術してませんよぉ~。(確かに★まっと★もそうおもいました。)そうです。母上は女の子だし、メスを入れない方を選択したのです。その2.ペルテスは敦子さん(私)にとって肉体的にも精神的にも苦痛な時代のはじまり・・・ではなかった。それは、母上とタクリン(姉・敦子はそう呼ぶのです。)の肉体的にも精神的にも苦痛な時代のはじまり?タクリン(姉夫婦は★まっと★をそう呼びます)のエッセイにもありましたがネ・・・・・父上にとっては?????
私にとっては、あまり悪い印象はありません。苦痛の時代なんて思った事もありません。それは、母&回りの人々のお陰かもしれないと思っていますが?
私にとって足が悪い事は可愛そうな事ではなかったのです。まず、第一に痛みがあったわけでもなく。足が無いわけでもない。でも、人はかわいそうと思い、チヤホヤしてくれるし、気を使ってくれる。言う事は聞いて貰えて、好きなものを食べさせてくれる。子供にとってこんな幸せなことはありません。日の当たる明るい病室で、わがまま放題言っていればいい生活!まるで女王様じゃあありませんか?????そんな中で、いやな性格にならなかった?(自分ではそう思ってる)のは、母上のお陰だと思ってます。ちゃんと教育してたんでしょう?!だから、タクリンの苦痛時代の話には心が痛みます。その時代のそれぞれのおかれた立場と心の状態のギャップを感じます。そうです。タクリンのいうかわいそうだけど強い姉?
実は、かわいそうじゃないから、強かったのかも?????

エッセイ『姉・敦子の入院』(幼少期)

■★まっと★のコメント
ふ~~~~む。ちょっとそれなりにショックかも・・・時は40年以上も流れてしまったけど、自分が感じていたことと姉・敦子が実際に感じていたこととはかなりのギャップがあったわけですね。それはそれでいいことかもしれないけど、それなりに自分の人生が空回りしてたことを意味することにもなりますね。悔しいなどとは思わないけど、逆に今となっては安心しています。そうですね、母・澤美の教えってどこかで生かされてる部分もあるのね。我々姉弟もどこか和田さんなのでしょうか・・?
『かわいそうじゃなかったから、強かった。』・・・・って事は高慢チキ??
そうそう、父さんはな~~んにも覚えていらっしゃらないんだなぁって思います。実際に姉・敦子が手術した記憶はまったくないですから。それに、手術か時間をかけての治療という選択においては福山家では治療を選ぶ家系のように思いますが、いかがでしょう?ただ、誰かさんの交通事故のような場合は即、手術、、、、、といきたいところでしたが、内臓疾患や血圧の関係で今度は手術ができなかった・・・こんなこともありましたよね・・・・・。その誰かさんとは当然、父・徹ですなぁ。


■母・澤美のコメント
今池の下駄やさんの御爺さんが補助具の高さに合う下駄を片足文だけでも気持ちよく作って下さいました。京都に旅行した時も補助具が切れてしまい、困って靴屋さんに駆け込んだのですが、店主さんの御爺さんが修理してくださいました。たくさんおみなさんに助けられたと思っています。
小学校では、いろいろいたずらされ、下駄をかくされても泣かずに頑張って取り返す逞しい敦子さんでした。5年間本当に長い月日を明るく過ごしてくれました。
一度だけ、夜になると『私は死にたくない。』と言って三日間も泣かれた時には、どう説明すれば良いか随分悩みました。補助具をつけていた時、『私はスカートははかないから、ズボンにして。』と言われ、どうしてかと尋ねると、ほかの人が色々聞くので隠した方が便利という結論でした。この頃から敦子さんはたくましく育っていました。

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コメント 6

KOZOU

ほんとに大事件でしたでしょうね。
ご家族、特にお母様のご心労はいかほどのものだったかと思います。
けれど、今は懐かしい思い出に。
人生、いいですね(*^_^*)
by KOZOU (2009-04-09 22:30) 

★まっと★

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
両親にとっても苦難の連続だったと思います。
母にとってもつらかった毎日でしょう。
姉がからっとして今でも話すこと・・両親は同受け止めているのでしょうか・
懐かしい思い出です。
by ★まっと★ (2009-04-10 05:49) 

ちゃーちゃん

親は心配していても、子供は案外平気で元気に
育っているんですネ・・・
病気に寄って逞しく賢く育ったお姉様に拍手を!!
by ちゃーちゃん (2009-04-11 09:54) 

★まっと★

ちゃーちゃん(●⌒∇⌒●)
そうですねぇ。。親が心配していたほど、姉はくじけていなかったのですねぇ。
本当に強い女性だと思います。
by ★まっと★ (2009-04-11 12:39) 

gyaro

敦子さまのコメント、お強い方なのですね☆

by gyaro (2009-04-23 08:25) 

★まっと★

gyaroさん(●⌒∇⌒●)
姉、敦子は本当に強い人だと思います。
今でも怖いほどに・・
母そっくりです。
by ★まっと★ (2009-04-23 13:59) 

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