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Chinto物語 その10 [Chinto物語]

■ヒヤチント物語 (NO.10)
離れ離れに住んでいても、毎日のような文通のやりとりによって、二人共結婚の意志は固まったようで、その準備も着々と進行し続けましたが、最大の問題は、二人して住む家の問題でした。たまたま,高3の生徒で、東京の大学を受験して合格し、一家全部が東京に引っ越すと言うことで、車道の大豪邸が売りに出されたのです。私が住む所を探していると言うことを聞きつけて、その家が売れるまで、その大邸宅に住んでも良いよとのことで、住むとこも決まり、いよいよ結婚ということになりました。博多のおばあちゃん(母・澤美の実家)は余り良い顔はしていませんでしたがね?1955年5月5日(昭和30年)京都の河原町三条のカトリック教会で結婚式を挙げました。マレット神父様はじめマリアの家の後輩達も来てくれました。大阪の輝男・茂子ご両人(父・徹の妹夫婦)も。河原町の三条教会は、現在、明治村にきて、保存されていますが、イメージがちょっと違うなあと言う感じです。 新婚生活は、こうして大邸宅に居を構えて始まりました。大学を卒業し、南山に就職して1年2ヶ月後のことで、当時の給料は1万3千5百円だったと思います。 当時としては、なかなか良い給料だったようです。ところが売れるまで住んで良いという大邸宅がすぐに売れてしまったのです。一ヶ月も住んだかなあ?そこから、また住む所を必死に探し始めたのです。それが、桜山の近くの二階住まい(間借り)です。間もなく敦子お嬢さんの誕生と言う段取りですが、以下は明日にしましょう。孝君は、まだ影も形もありません。では、次をお楽しみにね。


■★まっと★のコメント
そうそう、車道の大邸宅のお話も『夕食後の母の話』の中に幾度か出てきましたね。しかし、居住期間が短かったのか、あんまり自分としては印象がありません。やはり、姉・敦子お嬢様が誕生した桜山のほうが印象深いです。博多のおばあちゃん(母・澤美の実家)・・・すごい人でしたね。大好きなおばあちゃんでした。★まっと★自身はまだ誕生していませんね。次回には姉・敦子も自分・孝も誕生するのでしょうか?


■母・澤美のコメント
お父さんは車道にいた時からアルバイトで、家庭教師をしていました。月に4回行って2千円でした。バス代の往復料金を差し引くと一回が360円という計算です。アルバイトの帰りにパイナップルの缶詰を1個買ってくるのですが、その時代は350円でした。お父さんらしいと思いませんか・?今でもパイナップルの缶詰を見るたびに懐かしく思います。そして、桜山に引っ越してからは、桜山から南山学園(勤務崎)まで毎日歩いて出勤していました。帰りにはなぜか栄町経由でご帰還。コーヒー屋さんのはしごだったようです。堀先生をはじめ、いろいろ南山学園についての意見交換だったようです。メール読みながら思い出すことがたくさんあります。
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コメント 4

KOZOU

苦労話も今となっては楽しい思い出ですね(*^_^*)
パイン缶当時はえらく高いですね。
バナナもパイン缶もあこがれでした(^_^;)
by KOZOU (2009-04-01 19:40) 

★まっと★

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
確かに高価なものだったのですよねぇ。
両親とも、とっても苦労して二人の子供を育てたのだと思います。
いやいや、、、父は苦労していなかったかもしれません。でも、母は。。。大変だったと思います。
(ヘ;_ _)ヘ 爆 (ヘ;_ _)ヘ
by ★まっと★ (2009-04-01 20:58) 

gyaro

大豪邸、1週間でもいいから住んでみたいです^^;
コーヒー屋さんのはしご、僕もたまにやります♪
by gyaro (2009-04-06 14:24) 

★まっと★

gyaroさん(●⌒∇⌒●)
本当ですねぇ・・・
今の家は決して大きくはないですが、二人で生活するには十分です。
珈琲・・・★カレン★が大好きなものですから、はしごまではしませんが、一緒に買い物にでかけると、二軒くらいはいってしまいます。
by ★まっと★ (2009-04-06 14:27) 

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